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Allandale House: A Cabin of Curiosities by William O’Brien Jr. on thisispaper.com

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Allandale House is an A-frame(s) house for an idiosyncratic connoisseur and her family. Along with its occupants, the Allandale House also provides space for an eccentric collection of artifacts that resist straightforward classification…

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朝から晴れ。久しぶりに青い空が見れた一日。

自分の思いを<言葉>にするのは難しい。
<言葉>は自分で考えたものではないからだ。
子供の頃から親に教えられたり、周りの人の真似をしながら覚えていく。
誰かが考えた<言葉>を使って自分の気持ちを表現しようとするから難しい。

では考えてみよう。
自分にあった自分の「言葉」があったとして。
その「言葉」を使えば自分の思いをまさに思い通りに表現できるとしよう。
そうするとどうだろうか。
誰もが自分にとって都合のいい「言葉」を使うことで、自分のことは思い通りに表現できる。
自分の感じたこと、自分の世界を余すことなく「言葉」にできる。
しかし、誰もが自分にとって都合のいい「言葉」を使うことによって他者とのコミュニケーションは格段に難しくなる。
それは誰かと共有された<言葉>ではなく、自分にしかわからない「言葉」だからだ。

そう考えてみると、自分の思いを<言葉>にできないとうことは、<言葉>を使っている限り避けることはできない。
<言葉>は他者と共有できるという恩恵の代わりに、限界を抱えている。
だから人は<言葉>に出来ないことに度々ぶつかる。
美しいもの、悲しいこと、立ち尽くすような出来事に出会った時、<言葉>が見つからないことがある。
<言葉>には限界があるからだ。思っているよりも<言葉>にできることは少ない。
でも、<言葉>を使うことで誰かと分かち合うことはできる。
会話をして自分の中にあるもやもやが何か形が与えられて、それが何であるか気づくことがある。
会話をしているうちになんとなく腑に落ちることがある。
納得できることがある。

ここからは想像の話でしかないけけど、多分人は自分にとって都合のいい「言葉」ではなく、誰かと共有できる<言葉>を選んだと思う。
もしかしたら、そういう種族だけが生き残ったのかもしれないし、バベルの塔の神話のような物語があったのかもしれない。
なんにしても今の人は<言葉>を使っている。「言葉」ではなくて。
だとしたら、何か<言葉>にできないことに出会ったとき、それは仕方ないことかもしれない。
というか、誰かと<言葉>を交わすべきときに、人は<言葉に>できないことに出会うのかもしれない。
<言葉>にできないことに出会った時、そういう時にこそ<言葉>を発する必要があるのかもしれない。

<言葉>の真価が発揮されるときは、<言葉>にできないことに出会った時ではないだろうか。

早朝は曇っていたが、お昼にかけて雲の隙間から日が差してきた。
日が出たことで室内温度も上がって昨日よりはだいぶ過ごしやすい一日。

経済や社会、芸術を考える上で大きな枠組みで考える必要を感じることが多々ある。
例えば川を見た時に水を目を向けるのではなく、その「流れ」に目を向けるといえばいいだろうか。
そんなことをなんとなく考えながら、田中明彦著『ポストクライシスの世界』(日本経済新聞出版社 2009)を第3章まで読む。

西欧で各国が戦争をしながら覇権を争っていた中世の時代。
アメリカが覇権をとった20世紀。
現代は新しい多極化が起こっている「新しい中世」の時代。

産業革命以前、農業生産がメインの時代の国の力は人口であった。
西欧でもアメリカも中国でも農業に関しては生産性は大して変わらない。
故に、1820年でのGDP推計(アンガス・マディソンのGDP推計)をみると、
西欧23%、中国32%、アメリカ1.8%、日本3%、インド16%となっている。

しかし産業革命以後、西欧が魔法の杖を手に入れると、一人あたりの生産性に大きな差が生じた。
人口が国の力といえなくなったのだ。
1950年には西欧26%、中国3.4%、アメリカ27.3%、日本3%、インド4.2%。
資本主義、民主主義、産業革命による技術をもつ国々が人口の差をはねのけて力を伸ばしているのが分る。

さらに興味深いのが2030年の推計データだ。
このまま格差が拡大していくように思えるがそうはいかない。
2030年には、西欧13%、中国23%、アメリカ17%、日本3.5%、インド10%。
上記の近代社会システムがコモディティ化され、一人あたりの生産性の差が縮まってきた時に、
産業革命以前の人口の大小が国力を表すような状況になってきている。
フラット化する世界で言われていたことだがそのような様相がここでも確認される。

多極化していた世界が近代社会システムの誕生によって、中心と周辺に分離。
それが更に進むと、今度は逆に世界が多極化、フラット化していく。これが歴史の大きな流れだという。
とは言えこれは世界がすべて平準化していくことを意味しない。
ある面ではフラット化が進み、また別の面では世界は十分多様なのである。
ただ、フラット化が進んだことで世界が同じような弱点を持っており、どこかで問題が生じるとそれが今までにない速度で波及してくことが十分にありえる。
鳥インフルエンザや遺伝子組換え、放射能や経済恐慌、政治の波など多くのことがこれに該当する。
ここには国家を超えた存在、NGOや企業、テロリスト等は、世界を分離するアクターでもあり、世界をつなぐアクターが重要な影響力を持っているのは現代の特徴でもある。

このような「新しい中世」にある現代世界システムをにおける国際政治を考えることが後半展開されていくようだ。

朝から雨。気温は昨日と打って変わってこの時期にしては高い。

引き続き中山元著『フーコー 思想の考古学』(新曜社 2010)を読む。
カントから始まる超越論的自己と経験的自己に起因する近代哲学の課題について。
5章からは一気に論が展開してスリリングだが難しい。
フーコーは中世以降の歴史を3つに分ける。
ルネサンス(中世)の時代は17世紀近代的な自然科学が登場した時期まで、
古典主義の時代は18世紀フランス革命まで、
そして近代。(P147)

中世は神と共にあり、世界を認識できることが信じられていた。
古典主義の時代は「記号」が発明され人間が独自の世界観を想像することができた。
近代に入るとカント以降超越論的な視座が導入され人間が人間を対象化するようになる。

主体でもあり客体でもある人間。
このカント以降の人間観が現代まで続くある種の思想のネジレを形成していく。
それはヘーゲルの「即自」、マルクスの「疎外された人間」、フッサールの「潜在的なもの」。
またはハイデガーの起源への思考もココへ含まれるかもしれない。

では近代以降の哲学の問に答えることは可能なのだろうか。
本書はそれに対するささやかな期待がそっと添えられて終わる。
それは本来の力を取り戻した言語と文学、人間の無意識を問う精神分析と文化人類学の営み。
誰が語るのか、何を語るのか。
ではなく、主客が溶解したような語ることそのものを露わにする作品の力。
マラルメ、ニーチェ、アルトー、ルーセルの作品の力だという。

ここに来て本書の3章「狂気と文学」で考察された文学の可能性が結実する。
最初はこの章だけ毛色が違うように感じていたが、最期まで読んでその謎がとけた。
が、これは再度読み込んでココから更に他の思想家の本を見直してみたい。

フーコーの仕事の射程は長い。
現代に生きる自分もフーコーの射程範囲に入っていると気づいたとき、
思考が開けた感覚が得られたことがこの本から得た収穫だろうと思う。